はじめまして。これからブログを始めます「kokoromati」といいます。
自己紹介からさせていただきます。
もうすぐ59歳になったばかりの元シングルマザーです。子育ては数年前に一応卒業しています。ふたりのこどもはそれぞれ結婚していて孫もいます。
最近の好きなことは、神社等参拝してご朱印をいただくこと、ご朱印めぐり旅(ルート)を計画していること、賞状を書く練習をしていることです。
これから、ご朱印めぐりのこと等、いろいろ楽しいこと、楽しかったことを書いていければ思っています。
私は幼稚園に上がる前に、交通事故に遭い、足の骨を折り頭も強く打ったようで入院していたようです。(写真はありますが、記憶にはないです)
退院後に激しいものではないのですが、頭痛がするようになり、今でも頭痛は続いています。
小学校入学直前に、父が脳卒中で倒れました。当時家にお風呂はなく、銭湯に行っていたのですが、その銭湯で入浴中に倒れたようです。
右半身不随となった父は、退院後散歩をしたり、利き手でない左手で字の練習をしていました。小学生の私と一緒に勉強していました。
そんな父と母の勧めで、小学生の頃はそろばんとお習字を習っていました。このそろばんが今の仕事の原点なのかもしれません。お習字がこれからやりたい仕事の原点なのかもしれません。
小学生の頃、いじめにあいました。登校してもいじめっ子が教室のドアをふさぎ、教室に入れませんでした。蹴られたり、ランドセルを取られたりもしました。でも、父は入退院を繰り返していて、母は父の発病後に働き始めました。近くに住んでいた親戚たちの力も借り、何とか家事や父や3歳違いの弟の世話をやっている状態で、学校でいじめられているとは、父にも母にも相談できませんでした。太っていたこともいじめの対象にされたようでした。
このいじめは1年くらい続き、両親や先生にも知られることとなりました。大人がどういう風にしていたのかはわかりません。
いつもと同じように教室に入れませんでした。普段はそこで泣きながら先生が来るのを待って、いじめっ子たちが席についたら自分も座っていたのですが、ある日何だかそんなことに構っているのがバカバカしくなり、勇気を出して大きな声で「やめてよ」と言いました。不思議なことにその瞬間から、このいじめはなくなりました。
小学生高学年の頃に父は亡くなり、その後私は商業高校へ進みました。
高校では情報処理が楽しくて、簿記よりプログラミングが好きでした。
まだ当時は、オフコンといわれる時代。教室いっぱいになるくらいの装置の穿孔機と呼ばれる機械に、計算式のプログラムを打ち込み、テープを読み込ませると、答えが紙に印刷される。これがコンピューターっていうものなのか、と小さいことかもしれませんが、新しい世界を見たように感じました。
プログラマーになりたかったのですが、専門学校へいかなくてはなれないもの、「女の子は高校を出たら働きなさい」と母から言われていたこと、弟がいたこと、母がひとりで働いてこどもふたりを育ててくれたこと、経済的に余裕がなさそうなことで、進学は諦め、プログラマーなりたいという思いも諦めました。
でもコンピュータに触っていたい私は、ソフトウェアーの会社でキーパンチャー(今は多分ない職業かも)で就職しました。
23歳で結婚しましたが、高卒の私をひどく馬鹿にする夫でした。悔しくて仕事を辞め、1年間通信の予備校を受講後、26歳で夜間の短大に入学しました。夜間に入学したのは、学費と結婚していても自分の生活費は自分で稼ぎたかったからです。昼間は会計事務所で仕事していました。
入学した短大は、経済学部で会計学科があり、そこで会計や税法の勉強をするうちに「税理士になりたい」と夢を持つようになりました。勉強と仕事と家事の両立は大変でしたが充実していました。
夕方まで仕事をして、学校に行き、授業の後に会社の飲み会に参加するということも数回ありました。家で、次の日に提出のレポートをまとめているときに夫が飲みながら「休みの日にまで勉強しているなら離婚だ、酒の相手をしろ」絡んできたこともありました。幸い、私お酒メチャメチャ強かったので、一緒に飲んで夫を酔いつぶれさせて寝かせてから、またレポート書いてました。
短大卒業後に専門学校で税理士の勉強がしたくて、まず簿記の試験を受けよう、と卒業前から簿記の勉強していました。
卒業式くらいに、妊娠がわかり、税理士の専門学校は断念しました。簿記の試験は、つわりの最中でしたが、無事合格できました。
28歳での出産後、しばらく育児をしていましたが、どうも私は、家にいるタイプではなかったようです。生命保険の外交員をやり、下の子の出産後、また会計事務所で働き始めました。最初は週3日のパートでした。
35歳で離婚するときに、パートというわけにはいかず、家の近所の会計事務所に正社員で就職しました。あまりに切羽詰まっているようでかわいそうだったから、と採用理由を後で上司から聞かされました。
こどもたちの学校が落ち着くまで、十数年間お世話になりました。保育園からの呼び出し、入学式や卒業式、授業参観等で学校に行く機会も多く、その度に早退や、途中で抜けさせてもらったりしたことに感謝しています。
39歳の時に家を買いました。シングルマザーがなぜ家を買ったのか、と聞かれることがありましたが、子どもが小さいうちは無理ですが、高校生や大学生になっていれば、私にもしものことがあっても、家さえあれば保険金と遺族年金とかでなんとかなるのではないか、と考えたからです。
40歳で交通事故を起こしました。利き手にケガをし、いまでもあまり自由には使えません。1か月半入院しました。回復するまでの間に、身体も仕事も家事も何もかもが思うようにならずに、うつになりメンタルクリニックに通っていました。その頃は、よくないことも考えていました。子どもたちとも仲良くしてくれていた友人が、メンタルクリニックに行くように、勧めてくれました。一時薬で不安から解放されて眠れるようになり、体力も気持ちも回復してきました。救われました。
47歳で若い同僚に声をかけてもらい、税理士の専門学校に行くことになりました。声をかけてもらったことに感謝しています。
自分がやりたかった勉強をすることで、家のことがおろそかになるのではないか、当時反抗期真っ最中だったこどものことも気になりました。が、専門学校に通い始めてしまいました。
2年間通って、試験も2回とも惨敗、教室で一緒に勉強している人たちに勝てる気が全くしなくなり、家のことも気になってきたので、税理士は断念することにしました。
その後は、ずっと会計事務所ですが、転職を繰り返し今に至っています。
ハッピーな生い立ちとは言えませんが、その時その時で必ず助けてくれる人いて、子どもたちもいて、気持ちが前向きになり、やってこれたのかなと思います。
大変な時期ありましたが、しあわせでもあります。山あり谷ありですね。
長い拙い文章をお読みいただき、ありがとうございました。